健康管理

不眠症と睡眠薬―最近の治療の考え方

「眠れない…」翌朝にも疲れが取れていなかったり、集中力が衰えたり、頭痛がしたり、様々な心身の不調の原因になったりするため、本人にとっては大変辛い症状の一つだと思います。辛い不眠症状を抑えるために睡眠薬を処方されている方もおられるとは思いますが、メリット、デメリットをよく知った上で使われた方がいい薬でもあります。この章ではまずそもそもの睡眠のメカニズムから「睡眠」を考え、そして不眠症治療薬についての最近の考え方について触れてみたいと思います。

睡眠時間というのは人、あるいは年齢によって違うと思いますが概ね1日6-8時間の間ということになるのではないかと思います。例えば人生80年とすると1日6時間の方はそのうち20年、8時間の方は実に27年弱の時間を睡眠に当てている、という計算になります。そう考えると「寝ること」というのはいかに健康を保つために重要なものかがよくわかると思います。

睡眠に必要な要素としては「睡眠欲求」と「覚醒力の低下」の2つです。「睡眠欲求」とは読んで字の如く、人は覚醒している間に少しずつ心身の疲労が蓄積し、これが長時間続くと何とかこれを解消したい、という欲求がたまり、「眠たい」という感覚が出てきます。この欲求は十分に睡眠を取ることで低下することになります。一方で起きている間に睡眠欲求が蓄積するばかりでは活動すればするほど眠たくなってしまい日中の活動に支障をきたすため、それに打ち勝つためのメカニズムとして「覚醒力」が存在するとされています。「体内時計」という言葉を聞いたことがある方も多いかもしれません。人間の体にもある一定のリズムで覚醒-睡眠の指令を出すことがわかっており、その体内時計が司るのが「覚醒力」とされています。体内時計から「覚醒」の指令が出されると、いわゆる「興奮状態」の際に働く交感神経の活性化、副腎皮質ホルモンなどの「覚醒ホルモン」の放出、脳内の温度上昇が見られるようになります。これらは普段の就寝時刻の数時間前に最大になります。ただ一方、その頃には疲労蓄積による「睡眠欲求」もピークに達し、今度は睡眠を誘導する体内時計ホルモンであるメラトニンが分泌されることになります。睡眠に入る1-2時間前にこのメラトニンが急上昇し、蓄積した睡眠欲求と共に急速に「睡眠モード」に入ることになります。この「メラトニン」に関しては後の睡眠薬の記述にも出てくるので覚えておいて下さい。

もう一つ、この睡眠-覚醒のリズムを形成するのに重要な物質として最近注目されているのが「オレキシン」です。この物質は1998年に日本の柳沢正史先生、桜井武先生らのグループが発見したもので、当初は食欲を増進する物質としてギリシア語の“orexis”(食欲)から名付けられましたが、実はこのオレキシンを遺伝子操作で欠損したマウスを作成してみると、活動中に突然動きが止まるなどのヒトで言う「ナルコレプシー(過眠症)」という日中に耐え難い眠気に襲われる病気と同様な現象が見られ、その後の研究で特に覚醒状態の維持・安定化に重要な役割を示す物質であることがわかりました。この「オレキシン」も後の睡眠薬の所で触れますのでよく覚えておいて下さい。

心身を休めて、翌日の行動に活気を与えるのに大切な「睡眠」が何らかの形で障害されるのが「不眠症」ということになります。主に「不眠症」の治療適応とされるのは不眠による日中の眠気、集中力低下など昼間の活動に何らかの支障をきたす状態です。言い換えると昼間の活動に支障をきたさない睡眠時間の短さは「不眠症」とは言えないことになります。つまり、「眠れない」から睡眠薬を使うという安易な使い方をすると後で述べるような問題がいろいろ起こってくるリスクもあり、あくまでも「眠れないために日中の活動に支障をきたしている」から睡眠薬を使うことを考慮する、という考え方で使うべきということになります。

最もよく使われる睡眠薬としてはベンゾジアゼピン受容体に作用するベンゾジアゼピン系睡眠薬と非ベンゾジアゼピン系睡眠薬です。ベンゾジアゼピン作動薬はその受容体に結合することで強力に鎮静、催眠作用をもたらします。不眠には主に入眠障害(いわゆる寝つきが悪い)、熟眠障害(中途覚醒が起こる)、および早期覚醒(早く目が覚めてしまう)などいろいろなパターンがあり、このベンゾジアゼピン受容体作動薬はその作用時間の違いによりそれぞれの不眠パターンに適した薬剤があります。非ベンゾジアゼピン系薬剤も同様にベンゾジアゼピン受容体に効果を示す薬剤です。同じ受容体に作用するのに「非」というのが若干混乱のもとなのですが、これは単純にベンゾジアゼピン系薬と化学構造が異なる、という意味で作用するメカニズムは全く同じです。化学構造が異なることで、ベンゾジアゼピン系薬の副作用の一つである筋弛緩作用が少ないためふらつき、転倒などが少なく、安全性が高くなっているとされています。ただ、副作用が軽減されているとは言え、基本的には同じメカニズムで効く薬ですから、転倒、ふらつきなどの副作用がなくなるわけではないことには注意が必要ですし、また4週間を超える連続使用では依存性が形成され、中止が難しくなる場合も多いため、最近では最初に使用する際には頓服での使用が推奨されています。

これらの副作用、特に依存性を回避するために最近推奨されている睡眠薬がメラトニン受容体作動薬とオレキシン受容体拮抗薬です。メラトニンは先ほども述べた通り、覚醒状態から睡眠モードへ切り替える体内時計ホルモンです。夜間に増加するメラトニン分泌を刺激することで自然に近い睡眠を誘導すると考えられています。筋弛緩作用、記憶障害、依存性がないため安全性が高いとされています。ただ若干効果が弱いため、高齢者の患者さんや睡眠相のずれを直すのに適しているとされています。一方、オレキシン受容体拮抗薬はやはり先ほども述べた通り、覚醒をコントロールする神経伝達物質であるオレキシンと拮抗することにより睡眠を導入する薬剤です。この薬剤も筋弛緩や依存性による薬剤乱用の危険性がないとされ、効果発現も早く今後第一選択になっていくことが予想される薬剤です。

良好な睡眠を得るためには、薬の力のみに頼るのではなく、普段からの生活習慣の改善も大事です。例えば朝しっかり日の光を浴びることで体内時計がリセットされ、規則正しい覚醒-睡眠のリズムが整うと言われています。反対に夜就寝時にスマホやテレビを見たりすると、特にその光のうちのブルーライト(青い光の成分)が睡眠ホルモンであるメラトニンの分泌を阻害することで睡眠の妨げになります。朝起きたら必ず日の光を浴びて、寝る時はスマホやテレビなどは消して部屋を暗くして寝るのが大切です。他には日中は適度な運動に心がける、昼の仮眠は15時頃までとし、夕方以降は仮眠は取らない、日没後のカフェイン、喫煙は控える、深酒はしない、など睡眠の改善に必要な生活習慣の改善は様々あります。また、「眠れない」というのは心理的に辛い症状ではあるのですが、意外と目を閉じているだけでも脳は休息が取れていることも多く、本人が思っているよりも睡眠時間が確保できていることも少なくありません。「睡眠時間の短さ」を気にするより、「翌日の日中の活動に支障のある症状があるか」で睡眠薬を使うかどうかを決めるのがよいと思います。